出世はしたけれど 大岡越前守忠相 [歴史]
名奉行と言われた南町奉行大岡越前守忠相(ただすけ) テレビドラマでは加藤剛出演で放送され、確か最終回は1万石の大名に出世し、メデタシメデタシでしたが、事実はすぐに大名になったのではなく、寺社奉行に栄転になりました。
寺社奉行は3奉行(勘定奉行 町奉行 寺社奉行)の最上位に当たり奏者番である1万石以上の譜代大名が普通であり、他の寺社奉行にしてみれば面白くなく、例えば大岡忠助が寺社奉行として初めて江戸城に入った時には他の寺社奉行達と同じ部屋に入ろうとした時「ここは奏者番の控室だから入ってはいかん」と入れてくれなかった為、将軍吉宗は隣に控室を作ってやったとか
その後72歳になって1万石の大名となり奏者番になれましたが、奏者番は声を上げなければなりませんが、声が小さいと叱られ進退伺を出したそうです
晩年は恵まれなかったのです
奏者番とは コチラ
寺社奉行は3奉行(勘定奉行 町奉行 寺社奉行)の最上位に当たり奏者番である1万石以上の譜代大名が普通であり、他の寺社奉行にしてみれば面白くなく、例えば大岡忠助が寺社奉行として初めて江戸城に入った時には他の寺社奉行達と同じ部屋に入ろうとした時「ここは奏者番の控室だから入ってはいかん」と入れてくれなかった為、将軍吉宗は隣に控室を作ってやったとか
その後72歳になって1万石の大名となり奏者番になれましたが、奏者番は声を上げなければなりませんが、声が小さいと叱られ進退伺を出したそうです
晩年は恵まれなかったのです
奏者番とは コチラ
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